In My Head

思考を整理するために書いてます

娯楽から学ぶこと

夜、全ての仕事や家事が終わり、子どもも床に就いて1人で過ごせる時間がいちばん好きかも知れない。

 

洗濯物を畳み終えたらお湯を沸かし、緑茶か紅茶を淹れる。そして、録画していた番組を見たり、時々本を読んだり。

子どもたちが起きている時間帯は、テレビは子どもに占拠されてしまう。朝晩のニュースさえろくに見れない。

 

だから見たい番組は片っ端から録画して、夜見る。見るのはドラマかドキュメンタリー、音楽番組だ。今クールのドラマはアタリ。面白いものが多くて6本も録画しているから、消化するのが大変。

ドキュメンタリーは「情熱大陸」と「ドキュランドにようこそ」。音楽番組は「クラシックTV」と「Mステ」と「関ジャム」を毎週録画しているけど、興味がない回は見ない。

 

ドラマやドキュメンタリー、小説や映画が好きなのは、多分いろんな人の生きざまを知ることができるからなんだと思う。昔は現実逃避のために見ている節もあったけど、今は違う。

私は、私が経験できないことを経験している人の生き方を知りたいのだ。それがノンフィクションかフィクションかは問題ではない。

 

職場にはいろんな人がいる。家庭環境も違うし価値観も違う。私はそういう人たちを束ねる立場にある。働いている時は皆うちのスタッフだけど、職場を出たら各々が誰かの母親であり妻であり娘なのだ。現場での姿だけではなく、一人ひとりが背負っているものを想像できなければ、働きやすい環境を提供することはできない。

 

私の価値観はこれまで自分が体験してきた範囲内で培われたものだ。そんなちっぽけな視点で人を理解することなんてできない。だから。私はドラマやドキュメンタリーや映画を見、小説を読んで、自分が経験し得ないことを疑似体験し、自分とは違う価値観を知りたいと思う。

 

知ったところで、全ての希望を叶えられるわけではないけれど、少しでも融通を効かせることはできる。寛容な心を持てる。

 

コロナ禍、職場が大変な状況に陥ったことが何度かあった。スタッフには苦労をかけたし、不満の声だって耳に入ってきた。でも、みんなで乗り越えた。忙しいから、大変だからという理由で辞める人は1人もいなかった。そして今もうちに勤めてくれている。それは、私たちの取り組みが間違ってなかったからだと思っている。

コロナを通じて、私はスタッフ一人ひとりの背景を理解することの重要性を実感した。有事の時ほど私たちは大きな心を持たなくてはならない。独断と偏見に満ちた経営陣の価値観を一方的に押しつけられるような職場環境で、スタッフ同士が和気藹々と働けるわけがない。

 

私は、寛容で優しい人間になりたい。そのためには自分以外の視点を自分の中に取り入れることが必要だ。だから私は飽きもせずテレビを見る。小説を読む。くだらない娯楽だと見下す人もいるかもしれないけど、私にとってそれらは学びの宝庫なのだ。