In My Head

思考を整理するために書いてます

家族にどこまで合わせるか

主婦は、常に誰かに合わせて生きている。仕事はもちろんのこと、自宅でも夫や子どもの都合に合わせて動く。

夫の帰宅時間、子どもの習いごとなどによってタイムスケジュールが決まる。そうやって決めていても、家族の体調不良や突発的な用事などによりそれが総崩れになることもある。

 

我が家の場合、仕事から帰宅して夕食を作り始める17時から息子が寝る20時半までが私の戦場だ。夫は息子の遊び相手以外の家事育児は本当に何もしないし、夫の要望で21時以降に音の出ること(洗濯機を回したり乾燥機をつけたり洗い物をする、私の入浴など)はできないので、私はこの3時間半の間にやるべきことが山ほどあるのだ。

 

今でこそこういう生活にも慣れたけど、いくら慣れても疲れるものは疲れる。だってそれは本来の自分のペースではないから。そして、どんなに自分が家族に合わせても、家族が自分の都合やペースに合わせてくれることはほとんどないから。それが時々、虚しくなるのである。

 

なので私はどこまで家族に合わせるべきかボーダーラインを引いている。それは、基本的に家族の「都合」には合わせるが、自分がキャパオーバーな時は家族の「気分」には合わせないということだ。

人の気分に合わせるのには限界がある。家族といえども個々の気分までは把握できないし、予想もつかないのにその後のタイムスケジュールを組み直すのは難しいのだ。何しろやることはたくさんあって、期限も決まっているのだから。

こうして明確なボーダーラインを設けることで、私は気ままに振る舞う家族にヤキモキしたり「このままじゃ時間内に終わらない」と焦ったりすることがなくなった。

それに、20時半までは本当に忙しいけれど、ゲーム感覚でひとつひとつクリアしていけば案外楽しいものだ。

 

ゲームといえば、私の人生のラスボスは夫だと思っている。夫を攻略するにはどうすればいいか、いつも考えている。彼は多分、普通に見たらモラハラ夫なんだと思う。妻が気が弱い人だったらメンタルをやられる可能性もある。

だけど夫がモラハラ夫になるか否かは妻である私の捉え方にかかっている。私は夫から何を言われても何をされても、今ではほぼ聞き流す。決してムキになって反論はしないし、かと言って傷つくこともない。

 

ただ自分がそれをどう捉えたらストレスを感じることなく楽しく生きることができるかを考える。

速い球を投げつけられた時に、無理に打ち返そうとするよりも低反発枕のようにしなやかに受け止めて沈み込み、再び元の形に戻る方がより最強なんじゃないかと思うのだ。そういう対抗の仕方があってもいいと思えるようになった。 

 

でも私はラスボスを倒すのを目標としているわけではない。できればポケモンのように、最後には最強の仲間になれたらいいなと思っている。夫はどう思っているのか知らないが、私はせっかく縁あって結婚したのだから夫婦の関係に希望はいつまでも持ち続けていたい。

まぁ万が一別居しましょうという話になったとしても、1人で生きていく生活スキルと経済力はあるので不安はないけれど。

 

自由とは、勝手気ままに振る舞うことではない。外的な物事に心を乱されず、どんな時も自分らしくいられること、つまり心の体幹を持つことだと思う。それさえあれば、多少の時間的・環境的な制約があろうとも窮屈な気はしない。

 

家事や育児に参加しない夫に不満が溜まって愚痴を吐きたくなる気持ちはよくわかる。不満が溜まるのは夫に期待しているからだ。期待ができるぶん、まだ伸び代はあるのかもしれない。

けれど私はもう期待するのはやめ、次のステップに進んだ。この難関不落の夫にアプローチするために自分をどこまで変えられるか。環境に合わせて自分を変えるのは人としての成長であり進化である。自分が成長できるのはとても喜ばしいことではないか。

 

体力的精神的に無理のない範囲内でどれぐらい進化していけるか、私は変わっていく自分に期待しているし、楽しみなのだ。